これまで主に中・高木について多角的な検証を試みてきました。この項からは、視点は同じでも対象をがらりと変えて、花が魅力の樹木を紹介していきます。そして、花の女王と言えばバラ。でもバラとはどんな植物で、どんな歴史を持ち、こんなにも人々を魅了し続けるのはなぜでしょうか?
バラとは、バラ目、バラ科、バラ属の総称です。学名は「Rosaceae(バラ科) Rosa(バラ属)」。ただし、おそらく植物で最も多くの園芸種が作出されており、その正体を探るには、ベースとなる原種の状況、園芸種作出の歴史と代表的品種のチェックがないと、単なる人気種の紹介で終わってしまいます。観賞・育苗に関してはそれで支障は無いのですが、バラはその背景に、長きにわたる人類のロマンを秘めています。だからこそ、そのロマンを語らなくては、本当の姿に迫ることなどできません。
まず、人類がバラの改良に着手する前のバラ、つまり原種について。バラ属の植物は灌木、低木、木本のつる性植物で、この点については原種、園芸種共に同じです。自生地は北半球の温帯エリア全域に広がっていますが、チベット周辺、中国南部〜ミャンマーが主産地。また、原種の数は少ないのですが、日本に自生しているバラも、園芸種作出に大きな貢献をしています。
バラの改良は、誰もが知る通りヨーロッパで主に行われてきました。しかし、そのベースとなったのは主にアジアの自生種であったということ。その魅力をいち早く発見し、多大なる労力を費やし持ち帰り、そして品種改良・・・そのパワーと情熱には驚愕すべきものがあります。なお、多くの原種の中で、園芸種作出の原点となったのが、ノイバラ、テリハノイバラ、モスカータ、コウシンバラ、ロサ・ギガンティア、ガリカ、ダマスクローズ、ロサ・フェティダの8種と言われています。つまり、8種のうち3種までが日本産と言うことで、驚きの事実と言えます。
呼称に関しては、和名のバラは日本の野原・山野でよく見かけるイバラが元になっています。また漢字の「薔薇」を音読みすると「そうび」or「しょうび」となるそうですが、今では殆ど使われません。英名のローズはラテン語の「rosa」(学名と同じ)が元になっています。
文献的に、人間とバラの付き合いを追ってみると、どの程度さかのぼれるのでしょうか。答えはギルガメッシュ叙事詩(BC2600 年頃)まで。ギルガメッシュ叙事詩とは、古代バビロニア、つまり中学校?で学んだ、人類最古の4大文明にまでさかのぼれるということで、文献が残されている当初からバラが取り上げられていたということ。ただし、花についてではなく刺についての記述であったとのこと。
古代ギリシャ・ローマでもバラは重要な存在でした。女神アプロディナ、ウェヌス(ヴィーナス)と深い関係を持っていたからです。ただしここでも花ではなく、香りの元(香油)としての役割の方が大きかったのではないでしょうか。ボッティチェリ画の「ヴィーナス誕生」(1485年、写真参照)も、バラの花びらを吹きかける図柄となっています。筆者の私見ですが、この絵のバラの役割も、花びらの美しさよりも、そこから漂う香りの役割の方が大きかったのでだと思います。理由は、恐らくこの頃のバラは原種(前項の写真参照)に近く、殆どが5弁の花で、美しくはあるが際立った存在とまでは言えないからです。
この状況は、中世のヨーロッパでも同様。魅惑の香りが人を惑わせてはいけないということで、修道院限定で薬草として栽培することだけが許可されたと伝えられています。また、イスラム世界でもバラの香油に関する記述が、「千夜一夜物語」などに見られます。さらに時代が進み、マリー・アントワネットの肖像画(1783年、ヴィジェ・ルブラン画)を見ると、原種に近いものではなく、今で言うオールドローズ(古い時代の園芸種)に近いバラを手にしています。従って、少なくとも1700年代後半には、既にバラの品種改良がかなり進んでいたことが分かります。ただし、香り中心ではなく、花の魅力を強く意識したバラが登場したのはいつ頃からか、現段階では筆者は把握できていません。
その後、ヨーロッパではバラに対する決定的な影響をもたらす女性が登場します。フランス皇帝ナポレオンの妻ジョゼフィーヌです。彼女はバラの収集とともに、より美しい花を求め品種改良を積極的に進めるよう指示したからです。新品種の開発技術面でも、1800年代前半に飛躍的進歩を遂げます。アンドレ・デュポンと言う人物が人工授粉による育種方を確立したからです。そして、このような時代を背景に1800年代半ばには、3,000種に及ぶ園芸品種が登場したといわれています。